|
山科義士まつり 12月14日(松の廊下「忠臣蔵」から300年)
まつりの歴史
時は元禄14(1701)年3月14日、赤穂藩士浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下に於いて、吉良上野介義央に刀傷に及んだ。浅野家はお家断絶、長矩切腹、家臣は路頭に迷うことになり、赤穂の国元を追われるように山科に隠棲していた元国家老大石内蔵助良雄がお家再興を願い討ち入りを行った。
山科には、多くの関係史跡が今も残されており、大石内蔵助良雄をしのび、又義士史実の伝承と地域振興・地域コミュニティー醸成を目指して、昭和49年から始められた。
まつりの見所
討ち入り当時を再現する四十七士に扮する義士列、大石良雄ゆかりの瑞光院を出発、岩屋寺、大石神社と練り歩きます。
行列には清水一学の勇姿もあり、総勢300人まさに義士一色の山科となります。
12月14日、山科の街に討ち入りを知らせる太鼓が響きわたる。
行列の初めに目を引くのが、あでやかな着物を身にまとった婦人列。
次いで義士旗が掲げられ、大石内蔵助をはじめとする四十七士の義士隊が、ゆっくりと山科の街を練り歩き、ながら勇ましいかけ声を響かせます。(武器を手にし、討ち入りの状況を忠実に再現する。)
子供義士隊がその後に続き、大人顔負けの勇姿を観衆にみせてくれます。
「おう!」「おう!」とかわいらしいかけ声も聞けるでしょう。
問い合わせ 山科義士まつり実行委員会(小野方)O75−591−7 585
ゆかりの地
瑞光院 長矩の墓に四七士の遺髪
岩屋寺 本尊の不動明王は大石良雄の念持仏
花山稲荷 大石良雄ゆかりの血判状
大石神社 祭神が大石良雄
西方寺 小野寺十内の墓(12/14のみ公開)
極楽寺 大石良雄が施主となった寺、義士の遺物も保存
本妙寺 吉田忠左衛門の墓、四十七士の像
安養寺 元禄15年7月26日の丸山会議の場所
来迎院 大石良雄 遺愛の茶壺、肖像画
法住寺 同士との連絡の場所
上善寺 良雄の愛人「おかる」の墓
椿 寺 天野屋利兵衛の木像(12/14公開)
三宝寺 江戸元禄の佇まいを残す名刹
|