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悲劇のヒーロー義経伝説を訪ねる旅 |
鞍馬山は、森が深く茂る一帯です。天気によっては薄暗い日もございます。山道をお歩きの場合は、明るい時間帯に、くれぐれもお足元にご注意ください。 |
鞍馬寺仁王門・鬼一法眼社 |
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![]() 俗界から浄域への結界をなす、と言われている仁王門。鞍馬寺の境内であり、湛慶作の仁王尊像が祀られています。そこを通過すると見えてくるのが、鬼一法眼社。牛若に兵法を授けたと言われる武芸の達人・鬼一法眼が祀られています。ひときわ目立つ朱塗りの社が目印です。 |
鞍馬寺 本殿金堂 |
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![]() 鑑真上人の高弟・鑑禎上人が開基し、昭和22年に鞍馬弘教が立教されて総本山となりました。本尊・尊天は、毘沙門天・千手観音菩薩・護法魔王尊です。地下は宝殿で、清浄髪奉納祈願所になっています。背後の経塚からは、平安時代後期の遺物が多数出土し、一括して国宝に指定されました。 |
源義経供養塔 |
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![]() 義経が6歳から10年間を過ごしたと言われる、東光坊の跡地。昭和15年に義経を偲んで供養塔が建立されました。 |
由岐神社 |
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![]() 鞍馬の火祭で有名な神社です。御所から鎮守社として勧請されたのが始まりと言われています。中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿は、1610年に豊臣秀頼によって建築されたものです。現在は重要文化財に指定されています。 |
牛若丸息次ぎの水 |
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![]() 義経が東光坊から奥の院へと毎夜、剣術修行に通う途中でのどの渇きを潤すために飲んだと言われている清水です。 |
義経公背比べ石 |
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![]() 16歳で義経が藤原氏を頼って奥州に下る際に、鞍馬山との名残を惜しんで背丈を比べたと伝えられる石です。この柵の中の石と義経の背丈が同じ高さだったと言われています。 |
義経堂 |
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![]() 源義経公を護法魔王尊の脇侍・遮那王尊として祀っています。 |
木の根道 |
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![]() このあたりの地質は主に砂岩なのですが、岩脉が貫入してその熱によって砂岩が硬化して風化しにくくなっています。そのため、ここに芽生えた杉の根は、地下へ伸びることができず、地表に近い岩盤の上に根を張ってこの珍しい景観「木の根道」をつくっています。これは鞍馬山の名所の一つとなっています。毎夜、鞍馬天狗を相手に義経が武芸を修行していた場所と言われています。 |
奥の院 魔王殿 |
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![]() 護法魔王尊が奉安されています。護法魔王とは、650万年前に金星より地球の霊王として天降り地上の創造と破壊を司るものとされています。柵内は、石灰岩が累々とかなり、日本庭園の源流ともいわれる磐座になっています。 |
多聞堂 |
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![]() 鞍馬駅近くにある茶屋。くだいた栃の実を混ぜたお餅で上品なこしあんを包んだ「牛若餅」が名物です。風味が豊かで、おうす(抹茶)とセットで味わうとおいしさが際だちます。和風味のジェラートも人気があります。 |
左女牛井之跡 |
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![]() 下京区:石碑「左女牛井之跡」 |
五条大橋 牛若丸と弁慶の像 |
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![]() 東山区:「牛若丸と弁慶の像」 |
弁慶石 |
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![]() 中京区:弁慶石 |
首途八幡宮 |
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![]() 上京区:首途八幡宮 |
紫竹牛若町・光念寺・常徳寺 |
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![]() 北区: |
15:平等院-“極楽浄土を”との願いを込めて |
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![]() 「この世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と藤原氏の栄華を詠み讃えた、藤原道長の別荘がもとになったものです。宇治に極楽浄土を再現しようとした息子頼通が寺院とし、藤原氏の栄華を伝えるものとして今も多くの人々に親しまれています。 |
16:平等院-宇治上神社 |
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![]() 本殿は、藤原時代の一間社流造りで国宝に指定されています。拝殿は宇治離宮の遺構と伝えられ、板唐戸に蔀戸を入れた寝殿造りの風です。 |
17:比叡山・延暦寺-日本の仏教のふるさと |
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![]() 天台宗の本山で、比叡山四明方岳の北東、平安京の鬼門(艮)に位置しています。 |
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